江戸の果物⑤ 【甲州葡萄の登場】
蜜柑の次は葡萄を取り上げます。室町時代から日本で栽培されはじめた葡萄は、江戸時代に入ると甲斐国なかでも勝沼が最大産地として台頭します。元禄8年(1695)刊行の『本朝食鑑』中の葡萄の項には、産地としては甲州が最大で、駿河がこれに次ぐ。ともに、江戸に送られたという記述があります。
それだけ、蜜柑と並んで江戸では人気のあった果物でした。そして甲州から大量に出荷されたことで価格は安くなり、高級な果物から大衆の果物に変身していきます。江戸での大需要を受けて増産された結果とも言えるでしょう。
甲州の葡萄は、勝沼宿の問屋から神田の青物市場へと直送されました。神田青物市場は江戸城に新鮮な野菜を納める義務を幕府から課されていましたが、葡萄の献上も義務付けられます。
つまり、献上分の以外の葡萄を余剰分として販売することが許された格好でした。その後、水菓子問屋を介して市中に販売されていくのです。