社長の呟き 2021年5月号「江戸の醤油と東京のソース」

日本橋倶楽部会報5月号(第500号)

【五月号】

「江戸の醤油と東京のソース」

 

醤油は味噌の醸造過程で出る溜り汁を調味料として使い始められた。江戸の人口が増加すると、上方から大量の醤油が日本橋小網町に運び込まれる。関西の薄口醤油は昆布出汁の風味を活かす京料理には良く合うが、醸造時間が短いため塩分は反って高い。この高価な下り醤油に代わり、野田や銚子で作られた風味の強い濃口醤油は江戸の三大フード・ 鮨、蕎麦、天婦羅の付け汁として、忽ち市井の人々の舌を虜にした。しかし、今や東京のおでんは薄口醬油を使う”関東炊き”に席巻されてしまい、あの真っ黒な竹輪麩や大根には中々お目にかかれない。明治になり洋食化が進むと、今度は東京下町が高価な英国ウスターソースに代わる香辛料や野菜エキスなどをブレンドしたソースを産み出す。肉屋の店先に置かれたソースをたっぷりとかけた揚げたてコロッケの味は今でも忘れられない。学生時代に通った洋食屋ではソース・ライスが定番の隠れメニューであったし、未だにトンカツ屋の厨房の片隅にある一斗缶のラベルを盗み見る癖は抜けない。ところで、マスターズ覇者の松山英樹は醤油顔なのかソース顔なのか?あのポーカーフェイスには脱帽である。 小堺