はし休め
日本橋倶楽部会報2月号(第497号)
【二月号】
「袖触れ合うも」
新型コロナウィルスの脅威に晒されて早一年。昨年を振り返ると愕然とする事象に気付かせられる。毎年平均十数回は参列する葬儀は一度も無く、結婚式出席は一度だけ。テレビや映画を観ていてもノーマスクか着マスクかで、コロナ前か渦中なのかを見極める習慣が染みついてしまった。かつての木造日本橋を描いた浮世絵の橋上を行き交う市井の人々の姿に「袖振り合うも他生(多生)(たしょう)の縁」の言葉がふと思い浮かんだ。「多生」は幾度も生まれ変わる輪廻、「他生」は自分の過去、未来を意味する。「一期一会」を大切にする仏教の訓えだが、コロナ禍によりこの輪廻転生を感じる機会を全く奪われてしまった。今月は一月の阪神・淡路大震災と三月の東日本大震災の追悼に挟まれた月である。それぞれ合わせて二万五千人近い尊い人命が奪われた。一方、小欄を書いている時点でCOVID19による犠牲者は四千四百名程。人間らしさをことごとく奪い去るこの目に見えない敵に人類は“袖振れ合う”ことさえ許されない。「盃触れ合うも大小の宴」を人生訓として生きてきた小欄にとってこのもどかしさは筆舌に尽くしがたい。 小堺