ふるさと食文化の旅:奈良

奈良

奈良県は旧大和の国に属していた。飛鳥時代の都の藤原京とそれに続く平城京は唐の都・長安にならって作られた都城で、日本で初めての本格的な都市だったといわれている。大和の国として栄えた奈良県の周囲笠置・生駒・金剛などの山地に囲まれた内陸県であり、中央は吉野川が流れ、北部の大和川流域には奈良盆地がある。飛鳥・奈良時代には、奈良盆地は「国のまほろば」と詠まれ、日本の古代文化の中心地であり、法隆寺・東大寺・春日大社などの多くの寺院が建立された。

郷土料理

魚

内陸県の奈良は、川魚などを利用することが多いが、海産物の入手も工夫している。海産物の塩サバは三重県の熊野灘、カタクチイワシの干物(ゴマメ)・棒ダラや塩ザケ・塩ブリは日本海側の富山や福井などから入手している。棒ダラは水で軟らかく戻し、醤油と砂糖の煮つけとして、サケは正月の祝い膳に、塩ブリはくずあんかけとして利用されている。

川魚としては、吉野川や大和川で漁獲される川魚料理がある。塩焼き・甘露煮・あゆずし・味噌煮などがある。山深い渓谷の清流で養殖しているアマゴは甘露煮・燻製・南蛮漬けなどで利用されている。

肉

「大和牛」は、黒毛和種の未経産雌牛の中から30ヶ月以上飼育したもので、味にコクと深みがある。

銘柄豚の「大和ポーク」は、上質な脂肪が適度に入った肉質で、コクと甘味がある。

「大和肉鶏」は、シャモ・名古屋種・ニューハンプシャー種を交配して誕生した品種である。豊かな自然環境で育てられ、適度な脂肪を含みコクがある。奈良県御所市の自然豊かな葛城山の麓で飼育されているものにアイガモ(合鴨)がある。脂身と赤身のバランスがよいことで知られている。

野菜

歴史的に伝統ある地域なので、伝統野菜の種類が多いが、ほとんどが自家消費である。漬菜の一種の「大和マナ」はお浸し・漬けもので食べている。「軟白ズイキ」「祝ダイコン」「大和いも」なども伝統野菜の仲間である。「千筋みずな」「ひもとうがらし」「黄金まくわ」などもある。

奈良の代表的な郷土料理には「茶粥」がある。「奈良茶粥」は、大和茶の栽培が盛んなために生まれたといわれている。布袋に入れた番茶を煮出し、塩を入れて調味する。冷や飯・小豆・ソラマメ・サツマイモなどを混ぜて作る。「大和粥」は、コメの収穫ができない地域で、雑穀・野菜をたっぷり入れた雑炊である。

伝統料理

質素な「大和の茶粥」

奈良は、古くは大和朝廷の根拠地であった頃は、日本の政治・文化の中心地として繁栄したが、奈良盆地は農作物の栽培は難しく、庶民の暮らしは決して豊かでなかった。そこで、大和全域では小麦粉を団子にし、これを「茶粥」に入れて食べた。現在も「オカイ」とか「オカイサン」といい「茶粥」を食べる風習がある。木綿の茶袋に煎じた粉茶を入れて煮出し、食塩で調味し、冷たいご飯を入れて炊く。

行事食

ハレの日と「ときょりの魚」

海に面していない奈良盆地では、古くは、盆と正月と祭りの時だけ魚料理を食べたといわれている。この地方では「時折」のことを「ときょり」といい、ハレの日の魚は「ときょりの魚」といわれた。半夏至(夏至から11日目)にはタコ、盆にはトビウオとサバ、秋祭りにはエソを食べ、そのほかの行事の日はイワシを食べる風習があった。保存食として、酢に漬けた塩サバを使う「柿の葉ずし」は、今でも作られている。

食のこぼれ話

三輪素麺

大和朝廷発祥の地である三輪地方は、三輪山をご神体とする大神神社に囲まれ、古くから素麺作りの里として知られている。江戸中期の『日本山海名物図会』〈宝暦4年(1754)〉に、すでに三輪素麺のことが紹介されている。一説によると、奈良時代の宝亀年間(770~781)に、三輪の神主によって作られ、神前に供えていたともいわれている。『日本山海名物図絵』には、三輪素麺について「名物なり、細きこと糸のごとく、白きこと雪のごとし、ゆでてふとらず、…」と書かれている。