社長の呟き 【安倍家の呪縛】

「安倍家の呪縛」

2022年7月8日、安倍元首相が奈良で参院選応援演説中に凶弾に倒れた。即死であった。臨時ニュースを観て、1960年10月、浅沼稲次郎・社会党党首が演説中に山口二矢(おとや)に刺された画像が一瞬浮かんだ。当時のNHKニュースは白黒映像であったが、その背景など理解できない9歳の少年にとって脳裏に焼き付いて消えない衝撃映像であった。

この日、解散・総選挙が行われそうな状況の中、自民、社会、民社の党首立会演説会が日比谷公会堂で民社・西尾末広、社会・浅沼稲次郎、自民・池田勇人の順で予定されていた。西尾の後に浅沼の演説が始まると右翼の野次が酷くなり、司会のNHKアナウンサー・小林利光から静粛にとのコメントで一旦おさまり、浅沼が再開した直後壇上に駆け上がった山口には脇差で左脇腹及び左胸を突かれた。稲次郎は即死に近かったが、池田の演説をどうするかを巡って紛糾、運ばれた日比谷病院で稲次郎死去が伝わりやっと演説会は中止となった。この17歳の愛国・反共青年の思惑とは逆に総選挙では稲次郎率いる社会党が野党第一党入りを果たす。1980年6月の衆・参同日選挙戦で大平正芳首相が過労とストレスにより急逝した際も劣勢が予想されていた自民党は大勝した。同情票とは今昔、所を問わず存在するものだ。今回、自民党が圧勝したのも事件が関係していないとは言えまい。山口二矢は未成年にもかかわらず、事件の重大さに鑑み実名報道され、取調べ中の東京少年鑑別所で事件の3週間後、独房の壁に「七生報告 天皇陛下万歳」「ママ」の文字を残し、意思通り首吊り自殺を遂げた。また自衛隊・一等陸佐であった二矢の父・晋平は事件3日後に退官し、二矢が眼鏡を落としかけた稲次郎にとどめを刺そうとする衝撃的な写真を撮った毎日新聞社のカメラマン・長尾靖は翌1961年、日本人として初めてピューリツァー賞を受賞している。

安倍元首相の祖父、第56・57代内閣総理大臣・岸信介(のぶすけ)は1960年7月14日、首相官邸で行われた池田勇人の新総裁就任祝賀会場から出てきたところを戦前の右翼団体・大化会に属していた荒牧退助に太ももを刺されている。6月15日国会包囲デモ中に樺美智子が圧死するなど安保反対闘争は大荒れし、6月23日に安保批准発効にこぎつけた信介が辞意を表明した直後のことであった。荒牧は政治的には対峙するも樺美智子の死に同情的であったと言われる。

第19代総理大臣・原敬は1921年東京駅で、当時大塚駅職員の中岡艮一(こんいち)に短刀で刺殺されているが、戦後の総理経験者で演説中に殺害されたのは安倍が初めてとなる。また次期総理と呼び声も高かった父の元自民党幹事長・安倍晋太郎も1991年、奇しくも同年齢の67で膵臓癌により悲運の死を迎えている。

日本橋では1932年(昭和7年)、三井合名会社・理事長の団琢磨が三越本店側の三井本館入り口で血盟団の菱沼五郎に射殺された。当時文書課にいた後の三井不動産社長の江戸英雄は理事会への出社が遅れていた團を2度電話で催促したため、凶弾に倒れてしまったことを悔いたという。経済テロが台頭する当時は三井・三菱・住友財閥も大いに警戒し、三井財閥も防弾チョッキと拳銃を理事長室に備えていたと言うが、皮肉にもライバルの菱のつく名前の菱沼に襲撃されてしまった。なお現在でも三井本館(重要文化財)の旧三井合名理事長室(現三井住友信託銀行・東京中央支店長室)には隠し壁の中に玩具の拳銃を置いて、歴史上の事件を伝えている。