社長の呟き 2020年1月~12月号(日本橋倶楽部会報 ”はし休め”より)

はし休め

日本橋倶楽部会報1月号(第485号)

【一月号】

「シェーン カムバック」

 

西部劇「シェーン(1953)」主演の“アラン・ラッド”はアジア初のオリンピックが東京で開催された年の1月、自殺未遂後の薬物過剰摂取により50歳で亡くなっている。「シェーン カムバック!」荒野にこだまする少年の声を背に、白馬に跨がりながら息絶えて行くシェーンに幕が下りても座席から立ち上がれなかった方も多かったことだろう。この後、“ラッド”はこのラストシーンのような短く淋しい俳優人生を送ることになる。親友で名優の“ロイド・ノーラン”はスクリーンでは大きく見える“ラッド”が実は身長168㎝、主役男優としては致命的であったと著している。「島の女(1957)」では“ラッド”が主役にも拘らず、174㎝の肢体の持ち主、“ソフィア・ローレン”がセンセーショナルなデヴューを果たした。彼は馬上のヒーローでしかありえなかった。また少年役だった“ブランドン・デ・ワイルド”も期待されながら1972年、“ジェームス・ディーン”(1955 24歳没)のように自動車事故により30歳の若さで亡くなっている。一方、冷徹な殺し屋役の怪優“ジャック・パランス”(87歳没)は1991年のアカデミー助演男優賞を見事に撃ち取っている。嗚呼、なぜ名優たちは映画のような数奇な運命を辿るのだろうか? 小堺

 

日本橋倶楽部会報2月号(第486号)

【二月号】

「節分とフードロス」

まだ食べることのできる食品の廃棄、「フードロス」は大きな社会問題となっている。江戸時代“大坂”で商売繁盛を祝って節分の夜に歳徳神のいる方角に向かい、“太巻き寿司”を食べる風習が近年、関東でも広まって来たが、生産過剰の「恵方巻き」の大量破棄が問題となり、本年は大幅に減産されるようである。一方、“義理”と人情に甘いシルバー世代と甘い恋を夢見る若者世代にとって日持ちするバレンタインチョコは本年も沢山販売されることだろう。 日本橋生まれの祖母はNHK「紅白歌合戦」の“雌雄”を決した戦いの後、「ゆく年くる年」が始まる大晦日の深夜12時ちょうどに早稲田の「穴八幡宮」から戴いた「一陽来“復”」の御守りを恵方に向くように貼り、手を合わせていた。大晦日が忙しく単に日が替わるだけの重みのないものになってしまった現代、冬至、大晦日に御守りを貼り洩らしたまたは忘れていた人達で節分の日でもこの八幡宮の賑わいは続く。隣の放生寺も「一陽来“福”」(陰極まって一陽を生ずる=良くない事の続いた後に、良い事がめぐって来る)の御守りを授ける。いつの時代になっても 節分の“復”と“福”は創り過ぎても“ロス”にはならないようだ。 小堺

 

日本橋倶楽部会報3月号(第487号)

【三月号】

「聖火リレー」

いよいよ東京2020オリンピックの聖火リレーがスタートする。3月12日、古代オリンピック遺跡・ヘラ神殿にて採火された聖火は8日間ギリシャ国内を巡った後、空路にて20日宮城県航空自衛隊松島基地へ運ばれる。東日本大震災から10年目となる東北の各地を「復興の火」として廻った後の26日、福島県楢葉町・広野町「ナショナルトレーニングセンターJヴィレッジ」から聖火リレーが始まる。全国859市区町村を121日“駆”け、1万人の走者に引き繋がれて7月24日、新国立競技場へ到着。1964年の東京オリンピック最終聖火ランナーは原爆投下の1945年8月6日、広島に生まれた「坂井義則」氏。当時19歳の青年は早大・競争部に所属、五輪代表には漏れてしまったが、2年後のアジア大会1600M“リレー”の金メダリストとなり、雪辱を果たす。フジテレビ入局後は2回オリンピック報道を手掛けたが、2013年9月ブエノスアイレスIOC総会にてアジア初の2回目同一都市開催となる東京に決まった翌年の9月、69歳の若さで人生を駆け抜けてしまった。小欄は津波から奇跡の全員避難を完遂した福島県浪江町請戸小学校の卒業生・聖火ランナーの応援に駆け付ける。 小堺

 

日本橋倶楽部会報4月号(第488号)

【四月号】

「新型コロナウィルス」

昨年末、中国・武漢にて発生した新型コロナウィルス感染渦は3月のWHO「パンデミック」宣言後も未だに収束の兆しすら見えていない。国内では殺菌用アルコールと花粉シーズンに相俟ってマスクも足りない状況の中、手指を丹念に洗うことが今できる一番有効な防衛策と専門家は指摘する。人間は3分に1回、手指で顔に触れるという調査結果がある。手指に付いた細菌やウィルスは口、鼻、眼などを通して体内に入り込む。細菌とウィルス(Virus)の違いは細胞があるかないか細胞のないウィルスは宿主に入り込まないと単独では生きられない。新型コロナウィルスは水疱瘡や天然痘と同様の“エンベロープ(封筒)”と呼ばれる宿主の細胞受容体に結合し、免疫などの生体防御機能を欺く“膜”がある。この膜の大部分は脂質のため、アルコールや石鹸で容易に不活化できることが知られている。つまりウィルスの混入された封筒を家の中へ持ち込む前に開封して、中身を廃棄する。小欄は昔から擦って落とす効果に優れる“固形”石鹸派である。蛇足だが、固形石鹸にこびり付いた毛髪などはお尻で擦ると簡単に取れる。口、鼻、眼でもない尻・濃厚接触でした。小堺

 

日本橋倶楽部会報5月号(第489号)

【五月号】

「COVID19」

日本人がこれほどまで、手洗いをしたことは近年無かったかもしれない。
アルコール消毒液が品薄となり、新型コロナウィルス対策として手指洗浄が推奨されている。高校の化学で習ったように、石鹸は油脂とアルカリの「鹸化反応」により生成され、細菌やウィルスが付着した手指表面の皮脂を「界面活性作用」によって洗い流す。殺菌作用は無く、洗浄しているだけである。(注;逆性⦅酸性⦆石鹸は殺菌作用を合わせ持つ)日本ではラテン語で「ウィルス」、下水道に流された後でも、「Oui (ウィ)留守」とラテンの乗りよろしく遊んでいるように思えるが、浄水場で天敵の塩素により確実に葬られる。この種のウィルスの突起が太陽のコロナや王冠に似ていた為、公式国際名称は「COVID 19」(コーヴィッド19=CORONA VIRUS DISEASE 2019) 。まるで映画に出てくるスパイのコードネームのようだが、今や一般市民もこの見えない諜報員から身を守らなくてはならない。発生国では禁句かもしれないが、「集・近・閉」 を避け、自己犠牲も厭わない医療関係者に感謝し、こんな時でも忍び寄るコンピューターウイルスとデマウイルスを駆逐しつつ、一日も早い収束を祈る。 小堺

 

日本橋倶楽部会報6月号(第490号)

【六月号】

「ステイホーム休日」

「国民の祝日に関する法律」(昭和23年⦅1948⦆施行)により戦後日本の祝祭日が決められ、復興、高度成長期を経て徐々に増えていった。しかし、どう言う訳か一昨年まで長年、6月だけが祝日を持たない月であった。特段理由は無かったようだが、株主総会や決算発表を控えて忙しい6月に祝日などは無用であると経済界から圧力がかかったという説には合点が行く。昨年の譲位により12月23日の「天皇誕生日」は本年2月23日へ、10月の祝日として長らく親しまれてきた「体育の日」は「スポーツの日」として当初予定されていた2020東京オリンピック開会式の7月24日に生まれ変わる。従って、昨年から12月、本年は10月も祝日の無い月となった。さて6月は衣替え、梅雨入りと何やらせわしいが、多くのデパートでは雨が降り始めると「雨に唄えば」や「雨にぬれても」のBGMを流し、止むと「虹の彼方へ」と変える。紙袋にビニールを掛けてくれたり、傘を求めやすくするなど梅雨にも心躍る愉しい気遣いもコロナ対策のステイホーム休日では味わうことができそうもない。小堺

 

日本橋倶楽部会報7月号(第491号)

【七月号】

「Corona君」

米名優トム・ハンクスがオーストラリア滞在中の3月に妻とともにウィルスに感染した。入院中、8才のオーストラリア少年からお見舞いの手紙をもらったが、自身の名前の為に学校でいじめられていると書かれていた。トムは私用の“コロナ”社製タイプライターを礼に贈り、こう返信した。「親愛なる“コロナ”君へ、“君はともだち”だ『 You’ve Got a Friend in Me』」トムはヒット・アニメ「トイ・ストーリー」で保安官「ウッディ」の吹替え役として、この主題歌とともに子供たちの人気者であった。“コロナ”はラテン語で「王冠」を意味する。太陽のコロナ環にも似ている為、名付けられた「ヌーベル コロナ ヴァィルス」を日本では「新型コロナウィルス」と訳したが、本来は「光輝く、気高い」の意味を持つ。トヨタの国民的乗用車、優秀な日本製石油ストーブ、喉を唸らせるメキシコのビールにも“コロナ“が冠されている。そろそろ、悪名高き「新型コロナウィルス」を卒業し、国際呼称「コーヴィッド19」に改めても良いのではと思う。    小堺

 

日本橋倶楽部会報8月号(第492号)

【八月号】

「三つの密、み、K、T

本年の流行語大賞に確実にノミネートされるだろう“3密”。今や世界中でウィルス対策として「密閉・密集・密接」の禁止が叫ばれている。

本来、“三密”とは大日如来を本尊とする密教の教え「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」を言う。“身”は行動、“口”は発言、“意”は心を意味し、これらの三つを整えて悟りを開く。現代のウィルス禍にも通ずる訓えであるが、三つの“み”「ねたみ・ひがみ・やっかみ」も心に感染するものとして戒めたい。

しかし人間は3つで括る言葉を好むようだ。なるほど、3つまでは頭に入りやすく、忘れにくいが、3つを越すと覚えきれず、「七不思議は?」のようにクイズにもなりかねない。かつて「キツイ・汚い・危険」の過酷な仕事を“3K”と称した。小生はバブル時、ゴルフ場の「高い・遠い・取れない」を“3T”と名付け、苦労させられた。さて小欄の朝の忘れ物チェックは“3K”「鍵・金・携帯」と“3T”「手帳・定期・時計」の点呼・確認で完了する。しかし夜の男の憧れ、“3密”「密会・密通・密夫 (まおとこ)」は秘密裏に心の中で点呼するものの、依然として未完のままである。  小堺

 

日本橋倶楽部会報9月号(第493号)

【九月号】

「江戸の刻は難しい?」

「From Dusk Till Dawn」(フロム・ダスク・ティル・ドーン)はタランティーノ脚本、ジョージ・クルーニー主演の吸血鬼を退治するホラー映画。和訳すれば「日没から日の出まで」、江戸では「暮れ六つから明け六つ」。江戸時代は日の出と日没を基準にして、昼夜それぞれ6等分、四から九の数字で時刻を定めた。また十二支の「子」を夜九つ(午後12時前後)とし、「卯」は明け六つ、「午」は昼九つ、「酉」は暮れ六つとなる。洋の東西を問わず、妖怪の出没する「丑(うし)三つ時」は丑の刻を4等分した三つ目の午前2時半頃となる。午前4時頃の「お江戸日本橋七つ立ち」、「午前」、「午後」、「お八つ」は現在でも通用する。城内では太鼓であったが、市井の人々に刻を告げる為、本石三丁目(現日本橋室町四丁目)に「石町(こくちょう)時の鐘」が初めて設置され、最初の3つは捨て鐘、続いて時刻の数だけ撞かれた。さて、「三半(みはん)」とは3つずつ打ち、近隣の火事を知らせた半鐘。「三行半(みくだりはん)」は夫だけが妻へ通告できた3行半の離縁状。「丑三つ」同様、居合わせたくない修羅場だが、コロナ禍からの「明け六つ」の鐘は“一刻”も早く聴きたい。 小堺

 

日本橋倶楽部会報10月号(第494号)

【十月号】

「毒書復活!」

今月は「読書週間」(10月27日~11月9日)がスタートする。良書普及と読書奨励を目指して1949年に設定されたが、昨今の書籍・雑誌の売上げは15年連続の前年割れで、2019年は前年比4.3%減の1兆2360億円。ピークだった1996年の半分以下まで落ち込んでしまった。一方、電子書籍は前年比23.9%増の3072億円と出版物全体の2割を占めるまでになった。しかし今年はCOVID19感染拡大により学校は休校、学習書が飛ぶように売れ、社会人も自宅勤務で読書に勤しんで、売上はV字回復のようだ。ところで“全国書店員が選ぶ一番売りたい本”の「本屋大賞」をご存じだろうか?昔から小学校や図書館で本の推薦は行われていたが、思春期の青少年に思想や好みを押し付けることに抵抗感もあったようだ。しかし本屋で色々な本に巡り合い、読書量の多い店員の感性でアドバイスや推薦をされたら、読書の楽しみが増すに違いない。ブランデー片手に読書などと気取っても忽ち爆睡してしまう小欄が唯一覚醒していられるのは悪友達から薦められた刺激的な写真集や官能小説ばかり。“毒書習慣”しか身に付かなかった己にマスク越しの溜息をつく“栞”無月である。小堺

 

日本橋倶楽部会報11月号(第495号)

【十一月号】

「すしの日」

11月1日は「寿司の日」である。歌舞伎『義経千本桜』の「鮓屋の段」に登場する“弥助”とは壇ノ浦の戦いに破れ、奈良・吉野川の鮎鮓屋・宅田弥左衛門にかくまわれていた平維盛。維盛が弥左衛門の婿養子となった11月1日をこの日に定めたそうだ。この「釣瓶鮓屋」は現在49代目を襲名した「宅田彌助」が引き継ぐ八百年を超す最古の鮓屋である。こちらの鮎鮓はいわゆる“なれ鮓”だ。さて江戸の名物料理と言えば、“鮨” “蕎麦” “鰻” “天ぷら”であるが、特に江戸前で獲れた新鮮な魚が豊富に揚がった日本橋魚河岸には “握り鮨”の屋台が多く出没し、せっかちで舌の肥えた江戸っ子の胃袋を満たした。いわば江戸時代のファーストフードであった“早鮨”屋台は赤身鮪ならそれのみと専門に握っていた。半身に構えた客は食べ終えるとサッと次客に場を譲り、出際に暖簾で指を拭う。その汚れ具合で旨い不味い店の見極めができた。ちなみに当時の一貫はおにぎり位の大きさだったが、“にぎり寿司”の始祖「華屋与兵衛」が一口で食べやすいようにと二つに切って供した。今でも二貫ずつ出してくる寿司屋は昔からの慣わしを守っているようで好“貫“がもてる。小堺

 

日本橋倶楽部会報12月号(第495号)

【十二月号】

「師・士走る」

「昔は年の暮れにも祖先の霊を弔う経をあげたため、僧が慌ただしく馳せる『師馳す(しはす)』から転じて十二月を『師走』」と七年前の小欄に書き込んだ。しかし今年ほど毎月、医師、看護師、薬剤師の三“師”を息切れさせるほどに“走”らせた年はあるまい。(女性を看護婦、男性を看護士と呼んでいたが、2002年の法改正から男女ともに看護師に) 彼等は自らの生命の危険を賭して医療現場に立ち続け、また救急救命“士”はどれだけ走り回らされてきたことか。“師”は免許、“士”は資格が必要とされる職種と分類されるそうだが、 “死”と向かい合う状況の中、分け隔てなく協調し闘ってきた。COVID19は突然現れ、人類を死の恐怖の淵にまで追い込んでしまったが、元と言えば彼等を増長させたのは他のウィルスを科学的に駆逐し続けてきた我々人類の科でもある。それをくい止める為には飛沫感染を避けるという原始的な方法しか残されていないという因果応報の戒めに人類らしく生きるための会話、集う、接触の楽しみを奪い取られてしまうという皮肉。願わくは新年が “師”と“士”がゆっくり歩けるように安らかなることを!どうか佳い年をお迎え下さい。  小堺