社長の呟き 2019年1月~12月号(日本橋倶楽部会報 ”はし休め”より)

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報1月号(第473号)

【一月号】

ゴ~ンと除夜の鐘」

除夜の鐘は煩悩の数108を一つ一つ打ち消すように大晦日の夜中から撞き始められる。「うるさい」との苦情で最近は撞かずの鐘になってしまった古刹も多いようだが、虚しいものである。

東の華僑と西のユダヤ人は古代から商売上手の代名詞だが、実は彼等も敵わないという存在が印商(インド人)とレバ・シリ商人(レバノン、シリア人)と言われる。迫害と紛争に翻弄された民族は離散・流浪の繰り返しによって世界中に巡らされたネットワークを駆使する高性能エンジンをDNAとして引き継いでいる。ブラジル生まれのレバノン系移民の孫であった少年は家族とともにパリに移住し、工学博士を取得後、タイヤメーカーの「ミシュラン」に入社する。「ルノー」にヘッドハントされた後、「日産」の建直しのために来日、コストカッターの威名をもって辣腕を振るった。

東京拘置所のある小菅から程遠くない水元に大岡政談でも知られた「しばられ地蔵」の南蔵院がある。除夜の鐘でも有名な「在原業平」ゆかりの名刹だが、新年のその梵鐘をどのような思いでミスター「カルロス・ゴ~ン」は聴いたのであろうか?    小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報2月号(第474号)

【二月号】

「三の酉と火事」

十一月の酉の日に行われる「酉の市」。昨年は三の酉まであり、火事が多い年と言われるが、一年で最も乾燥する二月は昔から火災も多かったようだ。江戸“三大大火”とは「明暦の大火」、「明和の大火」、「文化の大火」を言う。日本橋も焼き尽くしたこれらの大火はそれぞれ旧暦の一月、二月、三月に発生している。その中でも「明暦の大火」は死者10万8千人を出し、江戸城の天守閣を焼失させた最大のものである。この通称“振袖火事”は3人の娘が1月18日に3年連続で“恋の病”にて17歳で亡くなった奇妙な出来事に由来する。しきたりにより金品が貰えない火葬人は遺体の着物を古着屋に売り、収入を得ていた。最初に亡くなった娘の“振袖”は2人目、3人目の娘に続いて買い求められたが、最後の娘が亡くなった時にその異様さに本郷の「本妙寺」にて供養することになり、振袖に火を点けたところ強風に煽られ、本堂に飛び火、大火となった。結局、「三の酉」と「火事」の因果関係は不明だが、浅草・鷲神社の酉の市にかこつけ、近くの吉原へ一回でも多く詣でたがる亭主族を「火事が多い」と女房衆がたしなめたとする説に説得力がある。冬の火遊びは厳に慎みたい。小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報3月号(第475号)

【三月号】

「風の電話・続き」

最近見かけなくなった電話ボックスに懐かしいダイヤル式の黒電話が置いてある。しかし電話線は繋がっていない。太平洋を望む岩手県・大槌町の高台の白い電話ボックスには年間3万人が話しかけに来る。そして中にあるノートには東日本大震災ばかりでなく、亡くなった人々への思いがつづられている。2014年9月号の小欄にて「風の電話」のことを紹介した。この実話をもとにした絵本「かぜのでんわ」(いもとようこ作)は愛する家族を失った動物たちが山の上の電話で消えてしまった仲間へ話しかける。そしてある日、ベルが鳴り響く・・・・・。また2000年製作の「オーロラの彼方へ」というアメリカ映画は30年前に事故死した父とある日突然、アマチュア無線機が通じ、彼を事故から救うというストーリーだ。

「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」と電話機の横に書かれている。淋しい問いかけをする人々にいつか応えてくれることを祈って、携帯電話は持たずにその電話ボックスを訪ねてみたい。今月、あの日から8年目を迎える。  小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報4月号(第476号)

【四月号】

「月代」

髪は1日に平均0.4 mm伸びる。1か月で1㎝ほど。頭頂部は少し遅い。因みに髭は0.3mmとほぼ同様だが、眉毛0.18mmと鼻毛0.15mmはその半分の伸びである。「俺の髪はもう測りようがない」などとひねくれず、最後まで髪のお話にお付き合い願いたい。以前歌舞伎鑑賞中のイヤホンガイドから流れる解説に“耳毛”がなびいたことがある。「五分月代(ごぶさかやき)」、「百日鬘(ひゃくにちかつら)」、「大百日(おおびゃくにち)」。鎌倉時代より戦の時は兜をかぶっても蒸れず、滑らぬようにと頭頂部を剃髪したそうだ。この青剃りの部分を月代と呼び、 “粋”だということでその後習慣化した。歌舞伎では無頼者、浪人、病人などを月代の生え具合の違う鬘で演じ分ける。五分は1.5㎝の長さで小悪人、百日間ほったらかした倍の3㎝以上は極悪人という設定だ。さらに正月から数えて百日目以上となる今月まで伸ばした鬘を「大百日」と呼び、差し詰め「石川五右衛門」級といった塩梅である。「“粋”のために実は毎晩剃っている」と豪語する御仁も現れそうだが、小欄は百日間溜め込んだ“酒代”の方を恥じたい。しかし誠に日本語の表現は言い得て “妙”である。小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報5月号(第477号)

【五月号】

「新元号・令和」

1日に新陛下が即位し、いよいよ「令和」が始まる。践祚(せんそ)による「代始(だいはじめ)改元」は過去多く行われているが、吉事による「祥瑞(しょうずい)改元」と凶事による「災異改元」も実は多い。ともに日本橋を焼き尽くした「明暦の大火」は「万治」へ、「明和の大火」(明和九年に起きたため“メイワク火事”とも言われる)では「安永」へ、「安政の大地震」、「黒船来航」により「万延」へ等々。さて「平成」の30年間にも多くの「災異」があったことにあらためて気付かさられる。敢えて挙げるなら今元号最後の月の「異変」はゴーン氏の4回目の逮捕。先月号で「大百日(おおびゃくにち)」とは月代(さかやき)を百日以上伸ばし放題にした鬘(かつら)、歌舞伎では極悪人を演ずる際に使用すると紹介したが、彼の前回勾留期間も百八日。3月の保釈時に作業帽を被った可愛い姿が仇になったのか、司直はどうしても悪人風情に仕立てあげたいようだ。〈閑話休題〉 小欄世代は「令」という漢字を「○」と習った。教科書体と明朝体との違いとされるが、12日は母の日、歴代天皇の名前を全て諳んじていた大正、昭和、平成と生き抜いた母の墓前に「令」の字を伝えるのはちと難しい。  小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報6月号(第478号)

【六月号】

「新札と倶楽部」

2024年発行の紙幣が4月に公表された。2回に渡って一万円札のモデルとなった「福沢諭吉」は「渋沢栄一」へ、五千円札は「樋口一葉」から「津田梅子」へ、そして千円札は「野口英世」より「北里柴三郎」へと交代する。日本銀行の濠向かいにある常盤橋公園にはオフィス街を見下ろすように「日本資本主義の父・渋沢栄一」の銅像が立っている。現在「常盤橋街区再開発プロジェクト」進行中の為、ステッキ片手の雄姿は拝めないが、「渋沢栄一伝記資料」によると「明治31年6月6日是ヨリ先、栄一、近衛篤麿・岡部長職等ト共ニ社交機関タル日本倶楽部ヲ創立セント謀リ、屡々協議ヲナス。是日、貴族院議長官舎ニ於テ発起人会開カレ、栄一副会長ニ選バル。以後引続キ当会ノタメ力ヲ尽ス。」とあり、よく日本橋を訪れていたことが分かる。北里は諭吉に多大なる支援を受け、大正6年には慶応義塾医学科を創設、初代医学部長、付属病院長となり、亡き翁の恩義に報いている。また自身が逃したノーベル賞を野口に託し、大正4年9月22日には英世の帰朝講演会を日本橋倶楽部にて開催している。初夏の橋上に佇むと彼等の声が涼風に乗って聞こえてくるようで心地良い。小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報7月号(第479号)

【七月号】

「音の風景」

梅雨が明けると、窓を開け放し、風を呼び込みたい時節となるが、クーラーの快適さに慣らされてきた都会人は風と共に入り来る音を聞く機会を失いつつあるようだ。さて、ここ一月程、まるで港町になってしまったかのように人形町界隈上空には昼夜を問わず“海猫”の鳴き声が響き渡っている。築地の移転に伴い、住場を失くした彼らが里帰りしてきたとすれば、かつての日本橋魚河岸は故郷だということに気付いている“かもめ”!

閑話休題、朝のかつぶしを掻く音、包丁が俎板を小気味よく叩く音も消え失せた。 横丁を子供達が駆け抜ける音、聞くや否や、外に飛び出した氷屋のノコを引く音、ミシンを回す音(回すも死語である)、電話の音は軽快な音楽に取って代わってしまった。風鈴屋の音、煙管(きせる)掃除屋の音。夕方の豆腐屋のラッパと台所から聞こえてくる音で匂いが漂い始める前から晩のおかずを言い当てることができた。画像も動画も無色であった時代には、音が情景を色付け、風にそよぐ葉音が家外の様子を描いてくれた。時代とともに変わってしまった何故か懐かしい音々。ビールの栓を抜く音、オッとこれは“カモメ”の鳴き声同様、昔から変わらない。  小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報8月号(第480号)

【八月号】

「義士、日本橋、五輪」

来春、山手線では西日暮里駅以来49年ぶり、30番目となる初のカタカナ名の「高輪ゲートウェイ」駅が誕生する。隅研吾氏デザインの折り紙をモチーフとした三階建の駅舎では、いよいよ来夏7月に迫った東京2020オリ・パラ競技を大型スクリーンでライブ観戦できるようだ。近くにある赤穂藩主浅野家の菩提寺「泉岳寺」は元々今川義元を弔うため、家康により桜田門外に創建されたが、1641年の大火にて焼失、高輪へ移転された。日本橋堀江町に生まれ、1603年日本橋で魚河岸が始まって以来の鮪問屋「大善」寶井家縁、芭蕉の高弟「寶井其角」は身を窶した浪士「大高源吾」と吉良邸に程近い両国橋で出会う。「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠む其角に対し 「あした待たるる その宝船」と討ち入りは明日未明であることを源吾は明かす。大石内蔵助以下浪士達は向島の吉良邸から永代橋を渡り、明石町の浅野内匠頭長矩が生まれた上屋敷を抜け、泉岳寺に眠る主君の元へ大願成就報告の為、3時間かけ12キロを歩いている。来春からは吉良邸跡から両国駅経由で日本橋をかすめながら、高輪大木戸(ゲートウェイ)までマラソン選手並みのスピードで着くことができる。 小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報9月号(第481号)

【九月号】

「つつがなし」

盆休みに里帰りした会員も多かろう。小欄の如く帰省する故郷を持たない「東京っぺ」にとって、夏休みで思い出すのは四十二日間遊び放しで、残された膨大な宿題と格闘する毎年八月晦日の惨状のみである。さて故郷を思い出す時口遊むのは唱歌「ふるさと」であろう。大正3年、尋常小学校の第六学年用として発表されながら長らく作者不詳であったが、昭和40年代、高野辰之作詞、岡野貞一作曲によるものと確認された。二人の故里である長野県中野市と鳥取県鳥取市にそれぞれ歌碑がある。

♪ うさぎ追ひし かのやま・・・・・ つつがなしや 友がき・・・・・ ♪

ツツガムシ病はツツガ虫というダニの幼虫が持つ病原菌により発症する明治時代に発見された風土病。友を気遣う「つつが無しや」はこの病名が語源と信じられてきた。しかし”恙(つつが)”は病(やまい)を意味する平安時代にまで遡る古語、実はこちらが本来のものと二回り上の“兔歳”大先輩にご教示頂いた。今やバニーを追う姿は夜の銀座でも見られず、老親を心配して電話すればオレオレ詐欺に間違われる世情。はてさて今宵も “老いし” 兔は “いつの灯にか帰らん”   小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報10月号(第482号)

【十月号】

「コーヒー文化」

10月1日を「コーヒーの日」と1983年、全日本コーヒー協会が定めていたが、2015年、国際コーヒー機関によって正式に「国際コーヒーの日」となった。コーヒーはコーヒーノキの種子を焙煎、挽いた粉末から、成分を湯または水で抽出する。音楽の父・バッハをもって「コーヒー・カンタータ」を作曲させるほど愛されたコーヒーは18世紀にオランダから日本へ伝来する。コーヒー・ベルトと呼ばれる熱帯地方でのみ生産されるこの豆を昔から日本は輸入に依存してきたが、過酷な海上輸送では味も香りも劣化してしまう為、美味しく淹れることに創意工夫を凝らしてきた。因みにTV西部劇「ローハイド」ではフェイバー隊長やロディは新鮮な豆を丸々湯煎して飲んでいる。現在、手間をかけた淹れ方をする喫茶店は少なくなったが、銀座「カフェ・ド・ランブル」、南千住・泪橋「カフェ・バッハ」などはいまだに健在である。しかし日本橋の「ブラジル」、本石町の「亜吐夢(アトム)」、西河岸橋の「スミダ」などの老舗は姿を消してしまった。まるで文化を挽いて、抽出してきたような日本のカフェ。1888年、上野・黒門町の日本初の喫茶「可否茶館」は文化度の「可否」を予見していたようである。  小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報11月号(第483号)

【十一月号】

「戦士達」

10月には厳かに即位の礼が執り行われたが、史上最強の台風による甚大な被害もあり、悲喜交々な月であった。ノーベル・化学賞にリチウムイオン電池を開発した米国の2氏と吉野彰氏が選ばれた。1970年代にウィッティンハム氏が金属リチウム電池を開発し、後にグッドイナフ氏はプラス極にコバルト酸リチウムを使うことにより、高電圧を発生させる論文を発表した。さらに吉野氏がマイナス極に非金属である炭素繊維を使用し、発火の危険性を減少させた。この電池内蔵のウィンドウズ95ノートパソコンは爆発的に売れることになる。彼は 2氏からパスを受け、“Good Enough”ではなかったリチウム電池を強い戦士に鍛え上げ、市場にトライした訳である。ラグビーワールドカップ2019で日本代表は残念ながらノートライで南アに屈した。映画「インビクタス」は南アの故マンデラ大統領がワールドカップを1995年、地元にて初開催し、同国代表チームが初参加で初優勝する“征服されない(インビクタス)“戦士達に鍛え上げられていく苦難の道程を描いたものである。2日の決勝も同年と同じ南ア対オールブラックス戦の再現となるのだろうか?こちらのパスワークも楽しみである。 小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報12月号(第484号)

【十二月号】

「京から富岳へ」

新国立競技場も完成し、東京はいよいよ来年7月にオリンピック・パラリンピックを迎える。それに肖る訳ではないが、来年10月倶楽部創立百三十周年を迎えるあたり、新年号は一足早く新デザインとなる。吉田誠男会員からお借りした「版元・伊場仙」出版の「歌川國芳」による浮世絵が表紙を彩る。さて今年も多くの著名人がお亡くなりになったが、かつて世界一の座に就いていたものが今年静かにその灯を落とした。女性議員から「2位じゃだめなんですか?」と揶揄されながら、ノーベル賞受賞者らの働きかけにより「事業仕分け」から除外されたスーパーコンピューター「京(けい)」である。2005年に総開発費1,120億円をもってスタートし、開発中の2011年6月および同年11月には世界1位となったが、今年8月にその役目を終えた。今後は100倍程の性能を持つ次世代スーパーコンピューター「富岳(ふがく)」が開発され、2021年には運用開始となる予定である。果たして世界一になれるのだろうか? 「一年の“計(けい)”は元旦にあり」。“「富岳」”には“「京」”のように“不覚”を取られないようにと願うばかりである。一足早いが、どうぞ良い新年をお迎えください!  小堺