社長の呟き 2018年1月~12月号(日本橋倶楽部会報 ”はし休め”より)

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報1月号(第461号)

[一月号]

「戌年」

オオカミと人類は共に数十万年前から群れを成し、狩猟をするという近い生活圏を持っていた。然るに人類がオオカミを飼い慣らし、友人となっていったことは頷ける。現在、犬種は700以上というが、平均寿命は12歳から15歳、室内で飼うようになり更に延びて、ギネス記録によると30歳近くまで生きたツワモノまでいるようだ。家族の一員になってから、いつのまにか飼い主の年齢を追い抜き、先に逝ってしまう愛おしい存在だが、もう一方の人間の友である猫は不思議なことに日本では干支にすら入っていない。諸説あるが、お釈迦様が危篤の時、ネズミに騙されてお見舞いが遅れてしまい、十二の干支に入れなかった。それ以来、その恨みの為ネズミを見ると追い回す習性になったと言われる。

小欄も過去マリー(メス)、ラッキー(メス)、太郎(オス)と看取ってきたが、今は元気な老犬フリーデン(オス)と残された寿命を”犬命”に競っている。

良き戌歳を迎えられるようお祈りしております!       小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報1月号(第462号)

[二月号]

「トランプ」

御歳91歳のトニー・ベネットとレディー・ガガのヒット・アルバム「チーク・トゥ・チーク」が小欄の行きつけの店で繰り返し流されている。3年前のリリースだが、それらの中で「ザ レディ イズ ア トランプ(The Lady Is a Tramp)」には思わず苦笑させられた。「tramp」はトランポリンでお分かりの通り「ドシン、ドシンと足で踏みつける」が原義。転じて「浮浪者、あばずれ」などを意味し、この曲中の歌詞からは「気まぐれのじゃじゃ馬」を連想させるそうだ。たとえじゃじゃ馬であってもレディはいつでも可愛いが、「Trump is a tramp」となるとそうはいかない。トランプ大統領(Mr. President Trump)のトランプ(Trump)は日本で言うゲーム遊びのトランプ(英米ではcards)。「トランプは人々を踏みにじる暴れ馬」となる。今月はいよいよピョンチャン冬季五輪が開催されるが、北の指導者「ロケットマン」と競って狡猾なカードを駆使し、神聖なスポーツを踏みにじる足跡を遺さないよう願って止まない。   小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報3月号(第463号)

[三月号]

「浪江小」

東日本大震災以降は福島県・二本松市で開催されていた「なみえ町十日市祭」(浪江町・明治6年起源)が昨年11月、7年ぶりに町内で再開された。2017年4月より帰還困難区域を除き避難指示が解除された為だが、そのお祭りの後に「思い出の品 展示場」へ立ち寄ることができた。浪江町・棚塩のかつてのギフト店には県警一斉捜索時発見品が1万7千点並べられている。持主が行方不明のバッグには慌てて大切な物が詰め込まれたのだろうか?腕時計は身元確認に役立ったのだろうか?可愛い携帯電話にはどのようなメッセージが残されていたのだろうか?幸せに溢れるアルバムを見るのは辛い。名前が書いてある学童帽、体操着、学生服やセーラー服・・・。赤いランドセルの白い背当てにはミッキー・マウスの似顔絵と一緒に「6年間おつかれ!」と卒業間近のしっかりとした字体で書かれている。

北国の桜が芽吹く3月下旬、震災前は在校生558名を誇った今は二本松市にある浪江小学校のわずか2名の卒業式に参列する。   小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報4月号(第464号)

[四月号]

「チャーチル」

三月に米国アカデミー・メイクアップ&ヘアスタイリング賞を辻一弘氏(48)が映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(原題Darkest Hour)」で受賞した。1996年の単身渡米から厳しい修行を積んだのであろう。日本人としては初めての快挙である。英国俳優ゲイリー・オールドマンもこの作品で初めて主演男優賞を射止めた。因みに受賞者にはオスカー像のみで賞金もなく栄誉だけだが、ノミニーには残念賞として相当な賞品が送られるようだ。
さて65歳で初めて首相になったチャーチルは米国とソ連を戦いに巻き込み、第二次世界大戦でドイツに勝利するが、その代償として後の大英帝国の失墜も招いた。米国大富豪の娘であったジェニーは英国公爵の三男と結婚してウィンストンを産む。美女で英国社交界を魅了した彼女は息子が大臣になるまで貢献する。彼女の考案との噂があるカクテルの女王「マンハッタン」のベースは北米産ウィスキー、息子の名を冠したカクテル「チャーチル」はスコッチである。 小堺
はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報5月号(第465号)

[五月号]

「Paul Harvey」

“ The Rest of the Story , Paul Harvey”

小欄も7年目となると、話のネタはどこから?ゴーストライターは誰なの?などの質問を拝受するようになった。浅学非才を婉曲に指摘されているだけなのだが、拙文にも興味を持って頂いているのかと前向きに考えるようにしている。ポール・ハーヴィーは1952年から2009年に90歳で亡くなる前年まで、冒頭の「ザ レスト オブ ストーリー」という4分弱のラジオ番組のキャストを務め続けた。FEN(極東放送)での特徴ある彼の声を憶えている方も多かろう。必ず“The Rest of the Story”に始まり、「Now you know The Rest of the Story」で閉じる。米軍放送のため若い米兵向けの解かりやすい内容でもあったし、ハリのある声も聞き取り易かった。この放送からは偉人の逸話、歴史、さらに米語の言い回しなど様々なことを学んだ。正直に告白すると、このスタイルが小欄の目標であり、ネタは日常でふと見つけるスパイスの効いた好奇心である。未完ながら、「これで、話の続きはお分かりですね!」   小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報6

「下町のバッハ」

南千住の鰻の名店「尾花」から浅草に向かうと泪橋から先は安い簡易宿泊所が多くあったため宿を逆に読んで“ドヤ”街と呼ばれた山谷だ。かつては毎夏のように交番が焼き討ちされる暴動がおきていたが、今はバックパッカーのインバウンドを多く見かける平和な街へと変貌した。いろは商店街入口を過ぎると、この界隈を舞台にした漫画「あしたのジョー」の連載が始まった1968年に開店した「カフェ・バッハ」のモダンな看板を発見する。鰻の後、違った香りに惹かれての係留も良い。戦後東京で本格的なコーヒーを出した店は銀座の「カフェ・ド・ランブル」が1948年と最も古いが、1962年オープンの吉祥寺「もか」が2007年に閉店してしまった後、続くのはこちらとなろう。2000年・沖縄サミットの晩餐会はこの店の「バッハ・ブレンド」で締めくくられたそうだ。ところで“音楽の父・バッハ”はコーヒー狂いの娘とそれをやめさせようとする父のユーモラスなやり取りの「コーヒー・カンタータ」を作曲している。“父の日”にはコーヒーの香りとバロック音楽が下町にも流れていそうだ。小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報7月号(第467号)

[七月号]

「夏の新蕎麦」

《6月18日の大阪北部地震により亡くなられたご遺族の皆様へ心よりお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々へお見舞い申し上げます。》

そろそろ夏の新蕎麦が出回る頃となる。一般的には新蕎麦は秋からと言われるが、農業技術の進歩による二毛作のおかげで、夏蕎麦は6月後半から信州などで収穫される。一方、国内産の半分近くを占める北海道産蕎麦は秋のみの一毛作。酷暑に新蕎麦の香り漂う冷たい“せいろ”が食べられるのはありがたい。“十六文”の 安さから二八(2×8)と呼ばれたという説もあるが、小麦粉二割、蕎麦粉八割の“二八そば”は腰のある細麺が打てる。昔、蝶ネクタイの日銀マンらしき老紳士が老舗“室町砂場”で焼鳥相手にお銚子一本、その後蕎麦をすすり、颯爽と席を立つ粋な姿を良く目にしたものだ。

「信州信濃の新ソバよりもわたしゃお前のそばがいい」酒の席ならではの都々逸だが、「しらふ」のことを英語では「ソバァ(sober)」と言う。呑兵衛の“野暮”そば好みはいつまでも席を立たない。小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報8月号(第468号)

[八月号]  

「し~ん」

日本語には擬音語あるいは擬態語が他国語に比較すると多い。“ワンワン”、“ジュー ジュー”、“どーん”など英語では“Bow Wow”、 “Sizzle ”、“Kaboom”が該当するが、周囲が静かな時に聞こえる「しーん」を表現する擬音語は英語に見られない。オイフォン(Euphon)と呼ばれ、外界からではなく脳の中だけで聞きとれるこの音は内耳にある蝸牛の有毛細胞が自発振動することによって生じると言われているが、まだ科学的には詳しく検証されていない。無音時に待機している三半規管のアイドリング音のようなものと考えると何となく合点がいく。手塚治虫が漫画の中で初めて“しーん”と表現したと言う説もあるが、いにしえから「森々」「深々」などの表現が見られることから自然の中で研ぎ澄まされて来た日本人の鋭い感性が生み出した擬音と考えた方が正しいのだろう。七月の西日本集中豪雨は多くの犠牲者を山間部に出した。“どーん”という轟音に突然かき消されてしまったあの“しーん”とした“しじま”はいつになったら取り戻すことができるのだろうか。  小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報9月号(第469号)

九月号

「老舗」

30数年前に日経ビジネスが「会社の寿命30年」説を唱えて話題になったが、この頃より創業30年以上の企業を老舗とする考え方が生まれたようだ。しかし老舗は数代に渡って経営されることが多いことから、百年超と考える方が妥当だろう。東京商工リサーチによると2017年に創業百年超となった企業は全国に3万3千社余り。業暦千年以上は7社。最古は宮大工「金剛組」(578年創業)、次いで「池坊華道会」(587年)、「西山温泉慶雲館」(705年)と続く。同時にこれら3社は世界の老舗企業トップ3でもある。百年超企業が世界中で一番集中しているのが東京都中央区。日本橋、銀座などを控えているので奈良・京都を数でおさえていることは納得できる。本年は明治150年、明治維新後町並みが整えられた銀座には創業150年近くの企業が多いが、日本橋は家康が開府以来の商業発祥地であるため、400年を越す老舗も多い。実に中央区全体の半数近くの100年超企業がここ日本橋に集中しているため、日本橋では百年を超えてやっと一人前と言われる所以である。当倶楽部には多くの百年超企業が名を連ねているが、そんな思いで会員名簿をめくるのも楽しい。 小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報10月号(第470号)

十月号

「魚河岸移転」

「家康と一緒に先祖は江戸に来て、殿様へ江戸前の魚を納めた残りを売っていいかって伺ったら、日本橋の北詰めで売れってんで、魚河岸が生まれた」 痛風のためいつも雪駄を履いていた老舗鮪問屋「大善」19代目・寶井善次郎氏の「鮪屋繁盛記」(平成3年・主婦の友社)出版記念祝賀会での気さくなご挨拶を思い出す。粋な語り口はご先祖の「寶井其角」譲りなのだろう。大正12年3月、江戸時代より私設であった市場の公設化に向けた「中央卸売市場法」が制定された。これは日本橋魚市場組合がかねてから要請していたものであったが、同年9月の関東大震災により皮肉なことに地元日本橋から移転することになってしまった。芝浦での臨時市場を経て、同年12月、築地の海軍省跡地に「東京市設魚市場」が始まる。(正式には昭和10年「東京都中央卸売市場築地本場」の開業)

さて10月6日に築地は閉業、11日からいよいよ豊洲がスタートする。初日は新市場での流通混乱が予想されるため、老舗のお鮨屋さんは休むところが多いようだ。当日は残念ながら、豊洲発の“初ネタ”にお目にかかれそうもないと、 “ネタばれ”しておこう。

小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報11月号(第471号)

十一月号

「武蔵とポール・アレン」

弟のように慕ってくる年下の幼馴染みとプログラミング会社を1975年にニューメキシコ州アルバカーキで興し、大成功したポールは資産200億ドルの大富豪となった。そして2015年、再び我々日本人を驚かせることになる。旧日本帝国海軍の戦艦・武蔵を海底1000メートルで発見したのは彼のプロジェクトチームであった。1940年11月1日進水、排水量6万5千トン、全長263メートル、最大幅38.9メートル、46センチ砲を9門も備えた武蔵はともに世界最大の戦艦・大和の妹艦である。お互いの改良点を姉妹のように確認し合いながら、大和は呉海軍工廠、武蔵は三菱重工業・長崎造船所で秘密裏に造られた。ちなみに陸奥と長門も同型の姉妹艦である。敗戦直後に悉く資料が破棄されたため、今は呉市の「大和ミュージアム」にある十分の一模型でしか往時の弩級を仰ぐことはできない。巨艦・武蔵が米軍戦闘機の攻撃によりフィリピン・シブヤン海に沈んだのは1944年の10月である。兄弟のようなビル・ゲイツとマイクロソフト社を創り上げたポール・アレンも65歳という若さで10月に他界した。                            小堺

 

はし休め(編集後記)

日本橋倶楽部会報12月号(第472号)

【十二月号】 

「decem」

いよいよ「師走」である。以前本欄で「12月に師(僧侶)は本当に走ったのか?」 (平成25年12月号) とつぶやいたことがある。昔は年の瀬に先祖の霊を弔い経をあげたため、実際に坊さんが慌ただしく走りまわったという「師馳す(しはす)」説が有力とのこと。

一方、英語の「December」は10番目という意味のラテン語「decem」から来ている。因みに「September」は7番目を意味する「septem」から、「octo 」は8番目、「novem」は9番目とそれぞれ続く。紀元前のローマ暦では2月が年末で、新年が始まる3月から10番目の月が12月。その為3月は“カレンダーのマーチ(行進)”がスタートする月「March」と呼ばれるようになったそうだ。古代ローマでも正月は居住まいを正し、新たに出発する月としていたことが分る。

来年は新たな元号がスタートするが、現陛下はそのままお元気に過ごされる。「平成最後の・・・」と言うキャッチコピーに躍らされることなく新元号を“平静”に迎えたいものだ。慌しく息を切らすことなく、どうぞ穏やかな歳の瀬を!    小堺