社長の呟き 2014年1月~12月号(日本橋倶楽部会報”はし休め”より)

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報1月号編集後記
[1月号]

「燗所」
「日向、人肌、ぬる、上、熱、飛び切り」温泉の湯温のことではない。

「飛び切り」は「ひれ酒」と聞けば、左党の方は「燗酒のつけ方」とすぐ勘が働くことだろう。夏に向かっては「涼(すず)、花、雪」「冷え」と温度を下げて、さらに喉を唸らせてくれる。

世界広しと言えども、これほど巧みに季節を愛でながら愉しめるのは日本酒だけである。

兎にも角にも、日本酒は旬を「五感」で愉しむ「和食」に良く合う。

昨年12月に「和食」がユネスコの世界無形文化遺産に登録された。

広く日本の伝統的な食文化が認められた訳だが、一方未来への伝承の義務も課せられた。

日本文化を保護するのも日本酒と同様、「勘(燗)所」が肝心のようだ。

本年も倶楽部会報のご愛読よろしくお願い申し上げます!

小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報2月号
[2月号]

「外来語」
この酷寒に福島第一原発「トレンチ」では懸命の復旧作業に従事する関係者たちがいる。

原発報道でしか耳慣れない「トレンチ」だが、第一次世界大戦の英国で「トレンチ(塹壕)」用戦闘服として開発された肩章ベルト、手榴弾と水筒をぶら下げる金属リング付きの「トレンチ・コート」を連想すれば分りやすい。つまり「トレンチ」は単なる「溝」のこと。「マネー・ロンダリング(裏資金洗浄)」は銭洗弁天様へどうぞと言ったら間違いなく罰が当たるが、こちらも「ランドリー(洗濯屋)」でお馴染みの「マネー・ランドリング」と言った方が分かりやすい。

なぜ学者や専門家たちは本来普段着の外国語を着こなしの難しい他所行きにしてしまうのだろうか?ここに乗り越えられない大きな「溝」を感じる。

2月のソチではコート不要、言葉の溝もない若者達によって熱気溢れる冬季五輪が開幕される。        小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報3月号
[3月号]

「悲しみと痛みを和らげる鎮痛剤」
人間の本能のひとつに悲しみと痛みを和らげる鎮痛剤のような防衛機能がある。悲痛な出来事にかさぶたをし、たとえ大きな傷跡が残ろうとも、指でなぞれる程に治癒させる。                                                             東京オリンピックの1964年に公開された映画「シェルブールの雨傘」で花屋の娘カトリーヌ・ドヌーブがこう歌う。「死ぬほどあなたに会いたいのに、どうして死んでしまわないの?」。

この複雑な思いをかの地の人々はどれほど噛みしめたことだろう。

しかし痛みと悲しみはやがて、心の中にしっかりと未来に花咲く種を植え付ける。

3月11日、東日本は震災から3年目の春を迎える。

小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報4月号
[4月号]

「日本橋と永森昭紀さん」
現在の「日本橋」は、初の石橋として1911年(明治44年)4月3日に生まれた。「三代以上」、「神田上水につながる日本橋川で産湯」の条件を満たすので“ちゃきちゃき”の江戸っ子である。

家康、幕府開幕の1603年、日本橋川に初めて木造りの橋が諸大名の寄進によって架けられたという。度重なる大火に燃え落ちないようにと花崗岩製になった20代目は関東大震災、東京大空襲にも生き延び、1999年に国の重要文化財に指定を受け、103歳を迎える。

1964東京五輪の前年より頭上の視界に不自由な50年を過ごしているが、56年ぶりの2020東京五輪開催決定に今回ばかりは期するところがあり、喜んでいることだろう。

昨年末、麒麟像天上の特別席に図らずも移籍された名橋「日本橋」保存会」前事務局長、そして我倶楽部会員・故 永森昭紀さんは先月新生成ったばかりの日本橋倶楽部とその界隈に笑みを返しながらも、未だに天上からの眺望に欠けるこの橋の現状に「こちらも早く!」と呟いておられることだろう。       小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報5月号
[5月号]

「胃か腸かい?謙太郎さん」
「君、胃がんで会社を辞めることを何て言うか分かるか?」

「依願退職?! では大腸がんは?」と切り返す。

今は亡き大先輩とのやりとりである。

「長男は腸なんです。次男は痔なんです」の類とは一線を画す際どいブラックユーモアを江戸っ子は好む。

物議を醸すことがあろうと、友好距離を推し量って、相手との間合いを鋭く詰めて行く。受け手の余裕もあろうが、そこで怒り出す輩は「野暮」と、それこそ野で一人淋しく途方に暮れることになる。

さてさて、答は「懲戒解雇」である。

新会館がオープンして早3ヶ月目、これからも痛快な会話が倶楽部バーをブンブン飛び交う。

なんて粋なのだろう! 小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報6月号
[6月号]

「時蔵の切られお富」
♪ 粋な黒塀、見越しの松に ♪

五月の「三社祭」で神輿を眺めながら、ふとこの歌詞が浮かんだ。

日本橋生まれの祖母に聞かされていたであろう春日八郎の昭和29年の大ヒット曲「お富さん」を「神輿のマーク」と幼い頃覚えた。「見越しの松」の意味が解ったのは「世は情け浮世の横櫛」を知ってからだ。

♪ 死んだはずだよ、お富さん ♪

中村時蔵丈による「切られ与三郎」ならぬ「切られお富」を観賞した。見事な悪婆役であったが、その恨み節の舞台となったのが幕医・岡本玄冶の拝領屋敷跡の「玄冶店(げんやだな)」(現人形町)である。「切られ与三郎」では「源氏店(げんじだな)」、「切られお富」では「玄治店(げんじだな)」と遊び心がある。日本橋界隈には当時から粋でいなせな店子(たなこ)が大勢いたことだろう。 小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報7月号
[7月号]

「牛乳と健康 ワールドカップ」
「牛乳を飲む人より配達する人の方が健康である」という格言がある。飲む人が不健康とは限らないが、届ける人の方が心身ともに健康なのは確かなようで、特にスポーツでは顕著だ。先月よりブラジルで開催されている「FIFAワールドカップ」では「感動を届けるプレーヤーの方が健康」なのは確かであるし、昼夜が逆転した地球の反対側の試合を目を擦りながら観戦し続けている人は彼らより健康とは言えない状態かもしれない。しかし感動は牛乳に勝るとも劣らない栄養源だ。スポーツだけにかかわらず、万事届ける人の努力を思い量って、それを心から味わうというのがこの格言の本来の意味だろう。いよいよ参加32チームの頂点が決まる64試合目の試合が日本時間7月14日4時に行われる。前夜に深酒などせずに体調を整えるとしよう。               小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報8月号
[8月号]

「商社と歯医者」
「ショウシャとハイシャ」 職業分類ではない。

勝負の世界がある限り、全てにこの二者が生まれる。
7月のサッカーワールドカップ、ドイツ対アルゼンチンの決勝戦はやはり欧州と南米の対決、延長後半にまでもつれ込む1点を争う熱戦となった。栃若、柏鵬時代などと書くと年齢が知れるが、記憶に残る昭和の名勝負は互いに尊敬してやまないライバルがいればこそ生まれた。敗者がいるからこその勝者、“勝者は驕らず、敗者は腐らず”。

ラクビーではゲーム終了を敵も味方もない「ノーサイド」と呼ぶ。

先月行われていた都市対抗野球で久しぶりに試合終了後のエール交換に立ち会った。勝負がつけばお互いの健闘を称えるこの儀式に何故、手が痛くなるほど相手に拍手を送りたくなるのだろうか。 儒教の教え五常の一「仁」は相手を思いやり、いたわることを意味しているそうだが、「二人」と書く。

小堺 裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報9月号
[9月号]

「風の電話とロビン・ウィリアムス」
岩手県船越湾を見下ろす大槌町の高台にある白い「風の電話」ボックスには線のつながっていない黒電話をかけに来る人が後を絶たないそうだ。大震災の犠牲者とその遺族が対話する空間として、中にあるノートには亡くなった人への思いがつづられていく。

この実話をもとにした「かぜのでんわ」(いもとようこ著、金の星社)という絵本が話題になっている。家族を失ったタヌキ、ウサギ、キツネが山の上の電話で話しかける物語である。そしてある日、かかってくるはずのない電話が鳴る・・・・。

先月63歳で自らの命を絶った名優ロビン・ウィリアムズは「パーキンソン病」を患っていたそうだが、この難病を著書「ラッキー・マン」で告白し、多額の研究助成金を集めることに貢献した俳優マイケル・J・フォックスがロビンにこの電話で声をかけたら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と諭すのだろうか? 小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報10月号
[10月号]

「スポーツ選手に思う」
「でかした!錦織 圭」で書き出しを決めていたが、全米オープンテニス準優勝はまだまだ上が望める。国枝 慎吾と上地 結衣は全米オープンテニス車いすの部優勝、史上最年長で準決勝へ進出した伊達 公子を含め4人のKの快挙である。また2人の吉田証言と調書では揉めていたが、3人目の吉田 沙保里は女子レスリング世界選手権10連覇をし“でかした”。「霊長類最強女子」と揶揄されようが、文句なしのあっぱれである。

原爆投下の1945年8月6日、広島県に生まれ、1964年東京五輪のラストランナーとして当時19歳で聖火台に火を灯した坂井 義則さんが69歳の若さで9月に亡くなられた。テレビ局で五輪の取材も経験されたそうだが、これら日本選手大活躍のラストコメントをお聞きしたかった。 小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報11月号
[11月号]

「パラリンピックとノーベル賞」
10月には東海道新幹線開業と東京五輪開催から50年目を迎えた。「第18回オリンピック競技会」が当時の正式名称だが、現在では当たり前になった「パラリンピック」の文字は見当たらず、同年の11月8日から5日間行われた競技は当時中学二年であった小生には全く記憶にない。しかし今やパラリンピック抜きには競技は考えられない時代となった。

また日本人三氏が青色発光ダイオード発明によりノーベル物理学賞に輝いた。中学で覚えた「光の三原色」は「赤 緑 青」 この3つの光は混ざると白色になる。長年かかって最後に開発された青色発光ダイオードの人類への貢献度は多大だ。一方「色の三原色」は「赤 黄 青」、 絵の具の黒色はこの3色を混ぜて作る。

大人になって覚えた「酒の三顔色」は青色が入った途端、光と色に魅せられて最後には白黒がつかぬことになる。 小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報12月号(第424号)
[12月号]

「尊厳死」
郵便受けに喪中はがきを発見するつけ、そのご不幸に気付かず師走を迎えてしまった自分を恥じ、訓えられた「億劫相別れて須臾も離れず」を念仏のように唱えている。

米国オレゴン州で脳腫瘍のため余命半年の29歳女性が宗教団体からの説得にも屈せず、自殺ではないと予告後、11月に薬による「安楽死」を決行した。名優 リチャード・ドレイファス主演の映画「この生命(いのち)誰のもの」(1982年日本公開)では事故により植物人間になってしまった彫刻家が病院内での法廷審問を要求し、生命維持装置を外す「尊厳死」を勝ち取る。「安楽死」と「尊厳死」 その違いは釈然としないが、先月のスケート・グランプリシリーズで氷上の侍となった羽生選手は間違いなく「尊厳死」の覚悟であった。

そして・・・・・ 銀幕で「人間の尊厳」を演じ続けた寡黙な男、高倉 健が役そのままに逝ってしまった。

どうぞ良き新年をお迎え下さい!    小堺裕一郎