社長の呟き 2013年1月~12月号(日本橋倶楽部会報”はし休め”より)

編集後記
日本橋倶楽部会報(2013年1月号)

「亡と忙」
昨年は(実は本年ですが)各界で活躍された多くの方々がお亡くなりになりました。

この新年号の校正日の朝にも日系ハワイ二世のD.イノウエ米国上院議員の訃報を知りました。英語の話せない祖父の「一家を建てなおして欲しい」との願いが込められたミドルネームは「建(ケン)」。やがてケン青年はかつて一番の敵から一番の友人なるまで日米関係の「建」て直しに奔走することになります。

臨終の言葉は出会いと別れの両方を意味する「アロハ」。何て素適な言葉でしょう。

さて、「慌」ただしかった一年を「忘」れ、また「忙」しい一年を迎えるまでの瞬く間の正月休みですが、良い新年をお迎えのことと思います。(この3文字は心を亡くすと書くようです)新会館完成まであと一年。本年も忙しい一年を迎えそうですが、倶楽部が会員の「心憩う」場となるようにと祈っております。   Y.K

編集後記
日本橋倶楽部会報(2月号)

「都心の淡雪」
昔は東京にも30センチを超える大雪が良く降り、庭に兄と滑り台を作った事を思い出します。ちなみに東京の過去最高積雪は1883年の46センチ、記憶に残る1936年の2.26事件の雪は2月23日の36センチ、戦後だけでも30センチを超える積雪は3日もあったそうです。

のんびりとした時代では、交通への影響など話題にもならなかったのでしょうが、大人になると交通網への影響など気にして、雪化粧を楽しむ余裕がなくなってしまいました。翌朝の真新しい雪に小さな靴跡をいくつも見つけると淡くなってしまった童心に気づかされます。

さて、新館完成まであと一年、会報には関連した内容が今後も増えてくることでしょう。雪で何かを作る子供のようにわくわくしながらこの一年を心待ちにしたいと思います。

小堺裕一郎

編集後記
日本橋倶楽部会報(3月号)

「守・破・離と五輪」
「守 破 離」とは武道、茶道、芸能など“道”とつくあらゆる世界で師の教えを守り、その後それを破る冒険をし、最後は独自の道へと師から離れて行く修行の段階を意味している。

悪しき慣習を守り、ルールを破り、人心から離れた道へ迷い混んだ五輪女子柔道指導陣の体罰問題は岡監事の巻頭挨拶にもあるように東京五輪招致に少なからず影響を与えそうである。

ところで五大陸を意味するシンボルマークからオリンピックを五輪と訳すのは日本独自のもの。無論宮本武蔵の「五輪書」から拝借したものだが、剣の道を"離"まで究めた武蔵がこれを知ったら、さぞかし面喰らうことだろう。守破離を歩む靴を履き違えた柔道関係者の道は険しい。

小堺裕一郎

編集後記
日本橋倶楽部会報(4月号)

「はし休めに命名」
当倶楽部の会員である神田の老舗蕎麦屋の御主人H氏は二月に大変な火災に遭われた。永いご無沙汰にもかかわらず参上したところ、年内での再建を誓う熱い意欲と「億劫別れて須臾も離れず」に反ってこちらが元気を頂いた。

三月は受験、卒業、花見などと慌ただしい月でもあるが、東京大空襲、東日本大震災など多くの大切な人々との離別を強いられた悲しい月でもある。永い年月別れたままになろうとも心は一瞬たりとも離れてはいないと誓った人も多いことだろう。

さて「三寒四温」ならぬ「凍」「暑」の繰り返しであった三月をくぐり抜け、この会報がお手元に届く頃には銀座歌舞伎座が新開場している。四月は桜の開花とともに温かい話題でさっそく出迎えてくれる。 (今後、編集後記を“橋 箸 嘴”の三文字をかけて「はし休め」とします)  小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(5月号)

「新人とベテラン」
ビジネス街には世間の風に少し馴染み始めたかのような新入社員で溢れ、ベテランと新人が昼食や酒席で談笑している光景を見かけることも多い。

東横線・渋谷駅や小田急線・下北沢駅の地下化など電鉄の話題が多い中、夕刻の新駅では多くの老若男女がこぞって案内表示を覗き込む姿に遭遇する。

新しい出会いが芽生え、古いものが潔く散っていく時でもある。

マスターズゴルフでは初めて豪国人が優勝したが、終盤の熟若の攻防は見ごたえがあった。名優ダスティン・ホフマンは何と75歳、今回は新鋭監督として映画公開を前に端然と来日した。

新旧物心の融合が日本橋倶楽部にはしっかりと在る。それを垣間見られるのは寄るあてもない、ときめく出会いもない者の楽しみでもある。   小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(6月号)

「日本橋區と松岡氏」
1878年(明治11年)に日本橋區と京橋區が誕生したが、1947年(昭和22年)、両区は合併され中央区となった。現在"日本橋"の冠称が付く19町名に旧日本橋區域内の地名を偲ぶことができるが、「石町」「駿河町」「薬研堀町」「芳町」「十軒店町」「安針町」など謂れある多くの町名が消えてしまったのは残念なことである。しかし家康の外交顧問として活躍したオランダ人ヤン・ヨーステン(日本名「ヤヨス」)の拝領地跡「八重洲」は中央区となってからできた新町名だが、さすが唯一"日本橋"が頭に付かない。

その八重洲にお店を構える今月号巻頭挨拶の松岡理事はちゃきちゃきの江戸っ子、"日本橋"の冠称を戴くにはお似合いの粋な旦那衆の一人である。 小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(7月号)

「酔い覚めの水の旨さ下戸知らず」
発酵学者の小泉武夫氏によると、江戸時代の飲酒量は毎日三合。現代人の3倍酒に強かった江戸っ子の喉を潤したのはほとんどが関西からの下り酒。西高東低だが日本最古の蔵元は茨城県にある。これからの季節、冷酒が美味い。江戸川柳「酔い覚めの 水の旨さや 下戸知らず」に習い、「宵い(酔い)銭に 水をさしたる 江戸知らず」、締めに「酔い覚めて 倶楽部愉しく 江戸を知る」と今宵も参合としよう。  小堺

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(8月号)

「若者達の参議院選」
参議院選挙が終わり、今さらのような勝敗因の検証が行われるマスコミには食傷ぎみの方も多いと思うが、ここに爽やかなニュースを紹介する。「僕らの一歩が日本を変える。」代表の青木 大和君は19歳、もちろん選挙権はないが、今春高校生100人と国会議員の討論会を開き、今回の参院選では5000人の全国各地の10代の声を集めた。活動の中心はFacebookなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)だが、投票率が戦後3番目に低かった中、現在慶応大生の彼とその仲間達が将来どんな有権者になるか期待を込めて見守りたい。    小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(9月号)

「恋と熱中症」
今夏はまさに酷暑である。四万十市では41℃と国内の過去最高気温を更新した。東京の8月の最高気温は38.3℃、昨年の35.7℃に比してわずか2.6℃差であるが、体感は全く違う。人の平均体温は36℃、38℃を越えると熱中症になるが、今夏は外気温が越えてしまった。意外と室内で起きやすく、室温30℃湿度60%からが危険ライン。台所、トイレ、とくに浴室は湿度が高く危ない。熱中症は英語で「Heat Disorder」つまり熱のコントロール不能。「Heart 」のコントロール不能に陥る「恋の熱中症」は気温と関係ないのでアール。ともに充分な対策を! 小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報(10月号)

「2020オリンピック・パラリンピック招致」
原発汚染水問題、柔道界の不祥事などにより苦戦とのおおよその予想を覆して、東京が2020オリンピック・パラリンピック招致合戦に圧勝した。

本年1月に招致委員会は「たら・れば」のマラソンコースを発表している。銀座から日本橋を渡り、神田、秋葉原を駆け抜け、浅草を折返し点として往復する。日本橋は「はし休め」などとのんびりしていられなくなった。

親日国のトルコ、日本人から人気のある国スペインには申し訳なかったが、敗者への思いやり・気遣いも五輪の精神。江戸っ子は粋な「おもてなし」で金メダルを目指すこととしよう。  小堺裕一郎

はし休め(編集後記)
日本橋倶楽部会報11月号編集後記
[11月号]

「乾杯条例」
「乾杯は日本酒で」の条例が今年1月京都市で施行されて以来、24の自治体が「最初の1杯は日本酒」などの乾杯条例を制定したそうだ。九州ではもちろん焼酎を後押しする条例が成立している。地酒の消費拡大を目論んでの対策だが、麦酒に始まって日本酒、焼酎、ワイン、仕上げの洋酒と秋風に乗って渡り歩く浮気鳥にとって、塀の中に落ちる罰則はないと知りつつも、各酒の秋波は悩ましい。どうせ最期の島では「どの酒で、何のために」乾杯したことなど忘却の彼方に飛び去っているのだが・・・。

来春の新倶楽部会館披露宴での祝酒を想い、今宵もボトムアップするとしよう! 小堺裕一郎

はし休め
日本橋倶楽部会報12月号(第412号)
[12月号]

「師走る?」
いよいよ12月「師走」である。

本当に師が走るほど忙しかったのだろうか?

昔は年の暮れにも祖先の霊を弔う経をあげたため、僧が慌ただしく馳せる月「師馳す(しはす)」から転じて「師走(しわす)」という説が有力のようだ。

時は替わり、今は宅急便のお兄さん達が巷を馳せ、走りまくり、クリスマスパーティーでは「主おわす」、忘年会では「酒和す」、おまけにお受験で「子走す」と12月は子供まで忙しい。

心を亡くすと書いて「忙」「忘」、心が荒れると「慌」。

来年の日本橋倶楽部・新会館の竣工を祝って、晦日は「志和す」心穏やかに結びたい。どうか良い年をお迎え下さい。   小堺